私が留年した理由ですが、ただ単に学力不足でした。。。
中学校ではそこそこ上の下くらいの成績をとっており、都会に憧れ自由な校風の、都会ド真ん中にある進学高校を受験しました。中学校3年生の2学期あたりでは50%くらいの判定でしたが塾にも通い、奇跡的に合格を果たしました。その時はすっごく嬉しかったです。
入学するなり高校デビュー、都会への定期券も手に入れ【女子高生】を満喫していました。
電車通学・友達と帰りにショッピング・初彼氏と過ごす日々で浮かれて、勉強は二の次三の次。
ただでさえギリギリで入った高校だったので、もちろんどんどん授業はわからなくなっていく。それでもなんとか卒業できればいっかくらいに考えて将来の事はなんにも考えずただただ毎日遊び惚けていました。
しかし、人生はそんなに甘くなかった。高校2年生の終わりがけ。追試を受けるも2点足りず。
高校は無常にもあっさり留年という決断を下しました。
それまではどうせ留年にはならないだろうと正直たかをくくっていました。受かるまで追試受けさせてくれるんじゃないか、おまけしてくれるんじゃないかとか甘い考えでいました。
義務教育が終わったら、そんな甘くはないんですね。留年がかかった追試を受けた生徒は20人くらいはいましたが、学年で私ともう一人の男子だけは点数が足りずに進級できませんでした。
すでに春休みに入っていたので3年生の教科書ももらっていました。それを返さなければいけなくなった時、母親が学校の廊下で泣いているのを見た時に「本当に進級できないんだ。。人生終わった。。。」と実感がわいてきました。
中学校までは、勉強もそこそこがんばれば上位の方にいれたし、運動ももともと得意、友達関係も良好で、たいして悩みのない人生だったんですね。高校でオシャレを覚えて、遊びを覚えて、恋愛を覚えて楽しい方に流されて、自分を自制できませんでした。今日が楽しければそれでいい、そんな感覚でした。
正直、留年してもなんとかなるけど、しなくていいならもちろん留年はしないほうがいいです!
人生やり直せるなら絶対勉強して、留年せずに卒業し、いい大学に行って大手企業に入社します(笑)
落ちこぼれの烙印をおされた屈辱、お金は余分にかかるし、とにかく恥ずかしいです。
履歴書も高校が4年間になってしまいます。就職の面接で「あれ?高校は。。4年行ってる?」と聞かれます。
20歳近くになっても制服を着るハメになります。
もしまだあなたが追試の前で間に合うようならスマホを封印して今だけは勉強してください。
親御さんはこのサイトを見せて危機感を煽って(笑)、今だけでも勉強させてください。一夜漬けでいいです。
追試の日の朝は、早朝から学校に行って、教室で集中して頭に詰め込んでください。そして先生にがんばっているアピールをしてください(笑)
心から皆様の進級を祈っています!!